神無月に出開帳 野暮天は狂歌から由来

最終更新: 6月16日

野暮な人のことを野暮天と言います。

今では、使う人を見ることがありません。

言葉の由来は、蜀山人(大田南畝)が詠んだ狂歌と聞きました。



江戸時代に天災や飢饉が続いたため、氏子の寄進が少なくなった時期がありました。

谷保の天神様は、社殿の修理も儘ならなくなり、荒れ放題となります。

何か良策は無いものかと、宮司と氏子が集まり相談したそうです。

当時、善光寺の出開帳で、人気を博していたのを真似。

御神体の開帳興行を決定しました。

10月(神無月)、御神体は目白で公開され、沢山のお賽銭が集まったそうです。



偶然、そこへ通り掛かった大田南畝が、出開帳を目にしました。

神無月に出開帳したのを皮肉り、次の狂歌を詠んだと言います。

「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 野暮の天神」

谷保の地名に野暮をかけています。

野暮の天神から、「野暮天」という言葉が生まれたのだそうです。



神無月の呼び名の由来には諸説あるようです。

一般的に良く知られているのは、出雲の国へ全国八百万の神々がお集まりになるため、地元の神々が不在となり、神無月となった説です。

逆に、出雲地方では、神在月と呼ぶ風習は良く知られています。

しかしこれは、出雲大社の御師が全国へ広めたものであろうと言われます。



大昔は、「かみなづき」と呼ばれ、醸成(かみなし)月で、新酒をつくる月という意味。

その「かみなしづき」から「かんなづき」となり、神無月の字を当てたと考えられる説が有名です。



私も参拝させて戴きましたが、谷保の天神様は広くて綺麗な佇まいです。

氏子の活動があってこそ、今も続くお社です。

大切なものを守ろうとする、人々の気持ちを評価すべきでしょう。



大田南畝は登城の際に転倒し、75歳で亡くなったそうです。

当時としては、長寿だと思います。

果たして道真公の祟りがあったのか否か、知りません。


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